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今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・   あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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周囲27キロメートルの小さな島、与那国

車ですと、あっという間に一周してしまいます

もうすぐそこが遠洋漁業地?・・・毎年国際カジキ釣り大会が開かれていて、フィシャーには有名な漁場でもあるそうです

ドクター・コトーのロケ地、海底遺跡でも近年有名とのこと

こんな小さな島に三つの泡盛工場

60度の泡盛はこの地でしか作られていない(許可されていない)とのこと

与那国島では、冠婚葬祭用として、80度近くの花酒を使用する慣わしがあったので、国税庁の超法規的な計らいでスピリッツ類として国境の与那国島だけに認めている酒だそう

花酒とは一番初めに出てきた混ざりけのない原酒のこと

せっかくですので泡盛工場も見学して、60度の花酒を試飲させていただきました

度数を聞いただけでは、とても飲めないと・・・

いえいえ、それがなんとも甘い香りとともにすうっとしたのどごしで・・・

こんなお酒はやはり特別用

普段は30度の泡盛で毎夜宴会が?

島中誰もが知り合いで、おばあから子供まで全員参加の運動会や学芸会

資料館には古い民具とともに古い芭蕉布のきものや反物、おんぶひも、綿麻のきものがあれこれと

その地に行ってはじめて解ることばかりです

写真は全て綿、綿麻のきもの

花織の綿着尺なんて・・・なんて贅沢なことでしょう

これも島の歴史、風習があっての品

沖縄本当とは異なる、独自の島文化が今も受け継がれているのです





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今話題のJALですが・・・

マイレージがたまったので調べてみると、今はディスカウント期間中

離島をプラスしても中部国際空港からなんと17000マイルで行けるではありませんか!

但し、特典航空券の場合、座席数が限られているようで、与那国まで可能な便と予定をすり合わせて急遽決行!

那覇から尚一時間以上かかる、日本最西端の島

周囲約27キロメートル

もう111キロ西には台北、花蓮市

空港に降り立てば、そこはほとんど音のない世界

空気も人も那覇とも違うような・・・

そんな地で織られている与那国織が見たくて

この土地の空気に触れれば、固めの木綿や麻の着物が生活着であったことが頷けます

本土で目にする絹の与那国花織はこちらで着られることはないのでしょう

一年中温暖で湿度があるため、植物の種類が豊富

草木染には適した環境であることが織での生計を可能にし、若手の作家が育っているとのこと

案内してくださった与那国織作家のRさんは、東京のアパレル業界から転身して、30年

すっかり与那国人となり、後輩の指導にあたっている様子

今回の旅の目的の一つが、彼女への製作依頼でした

続きは次回に・・・

















毎年のことながらバレンタインが近づくと、そのディスプレイに心ざわめくのは女性たち

年齢不問、そのかわいいチョコとの出会いにドキ・ドキ・ドキ?

そういえば昨年息子は手作りチョコを食べてたっけ?

お菓子作りの好きな彼女だと知ったのはそれからでしたっけ?

クリスマスにはイチゴのミルフィーユをいただきましたね

手作りのミルフィーユははじめてのこと

とっても美味しかった!!!

今年、バレンタインデーの前日は・・・

いよいよ結婚式ですね!

ふつつかな息子ですが、どうかよろしく!

家族がふえる・・・うれしい限りです!

出会いとは不思議なご縁のお導き

彼女の父は主人と高校の同級生

彼女は私の大学の後輩で

息子と彼女は三歳違い

私と主人も三歳違い

彼女の誕生日は主人の命日で・・・

主人の口癖・・・

「朝ごはんはちゃんと食べろ」

息子にしてやれたのはそれだけです

I ちゃんにそれをうけついでいただけたら・・・

主人もさぞや安心することと・・・

今年、最高のバレンタインデーとなりますように!!!







先日南青山の隠れ家的なショップへお邪魔しました

1階はおきものショップ

二階は、地唄や香道、茶道、きつけなど和の稽古場とのこと

モダンな和の空間には、オーナーのセンスあふれるお着物と帯

その日、お召しになってらした店長のお着物は、もともとは西陣で洋服生地をして織られたものをお着物用に仕立てたお品とか

白地に黒の細いピンストライプのシンプルなお着物ですが・・・

モアレ加工の様な、角度によって微妙な地紋の変化が見えかくれてはんなりモダン

帯は墨黒地に銀の小さなスクエアがお行儀よく並んだやはり西陣の名古屋帯

帯もきものも西陣ながら・・・

大胆に活けられたボケの花やディスプレイを含め、都会の空気が漂うから不思議です

そんな空気に触発されたわけでもありませんが・・・

先日の着付け教室の折・・・

仕立て上がったばかりの薔薇の織柄の名古屋帯は、生成り地に濃いグレーの手織り

目ざとく目にしたNさんは、黒の蒔き糊チラシの牛首紬をお持ちで、サッとそれとのコーディネートをイメージされたのでしょう

その翌日合わせてみたのがこちらのお写真

都会に負けない?モノトーンのコーディネートの完成ですね!

帯揚げ、帯締めを、グリーンやイエローにすれば又春から初夏へと変幻自在

ようやくしっくりくる組み合わせが出来て、満足げの素敵な笑顔のNさんでした!










この日曜日、日本橋三越の呉服特選サロンにて(財)日本きもの文化協会会長であります、清水とき氏のお話を聞く機会を得ました

現在も(学)清水学園、(専)清水とき・きものアカデミア学校長としてきものを世界へと発信されているそのお姿に一度直接お会いしてみたいと

とき氏は、今年88歳、まさに大正、昭和のきもの文化の生き字引

色々と興味深いお話を伺うことが出来ました

お話をかいつまんでみますと・・・

きものの源流となる小袖の歴史は古く、その基本形態は既に奈良の服装文化に見られ・・・

平安時代には貴族の女性たちが着る衣装は大きな袖を持つことから大袖と呼ばれ・・・

その中に着る衣装は袖が大袖より小さく作られていたため小袖と呼ばれていた・・・

鎌倉、室町と時代を経るにつれ衣装の簡略化が進み、単に肌着であった小袖が表着としての着用が通常化して、現代の小袖という概念の基幹が誕生

そう、今私たちが「きもの」として着ているものはみな、「小袖」なのですね

そんな小袖の表面化に追従して、着用時に使用されていた簡素な「紐」が、装飾的な役割を持った「帯」へと変化し・・・

小袖と帯の組み合わせが一般的に確立され、現代のきものと帯との組み合わせの原型になって・・・

こういう歴史をかんがみて、「小袖は帯が本流」というのが、とき氏のお考えかと

自分の好みを考え、それを元に出かけていく所、対象を考えて着物を選ぶ

きもののおしゃれの奥深さはとても短時間では語りつくすことなど出来ないながら、含蓄あるお話はやはりさすが!

売り場には質の高い店員と質の高いお着物がされげなく・・・これが日本橋三越の歴史でしょう

よいお勉強をさせていただきました!





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