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今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・   あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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今日は湿度も気温も高く・・・

こんな日には、麻のお着物に触りたくなります

それも上布なら尚のこと

これはアンティークの宮古上布

深い深い、琉球藍は黒と見紛うほど

ひとたび白い布を当てれば今度は白と同化するように・・・

こんな風にお写真にとってもその透け感は伝えられないのが残念です!

先日白のお襦袢の上に纏ってみましたら・・・

本当に藍の色が透けて、昔の手績みの苧麻の撚りの節々までが、まるで柄のように浮き出て見えました

こんなシンプルな柄なので帯を選びません

この上布を気に入ってくださった方のイメージに合わせて今回あわせたのがこちらの帯

ざっくりとして、どこかいびつな十字架?模様

その中の赤がアクセントとなって遊び心が・・・

絣の足の素朴さと織り込まれた藍色がベストマッチかと

盛夏のお着物の時期は短いから、せいぜい着て下さい

汗をかいても霧を吹いておけばさっぱりとします

しわも当たり前ですから気にしないで着心地こそを楽しんで!

小物を大胆に変えて変身振りを大いに味わってくれることを願います!

お気に入りのコーディネートのままお嫁に行きます





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じめじめと、梅雨らしい日が続いておりますが、体調はいかがでしょうか、お見舞い申し上げます

毎日梅酒割のお酒を欠かさず飲んでいた父

私もここ数年漬けている梅酒の梅を取り出し、毎日ひとつ食べるようにして一週間ほど

果てさて数ヵ月後に結果が現れるとよいのですが・・・

気分だけでも爽やかに、と昨日の教室でのコーディネートの一こまをご紹介

Nさんの白の琉球柄のお着物はお母様の絹芭蕉

地色の白が時代を経て落ち着いた白になっています

このお着物に赤系の帯を締めていたようですが、今回は麻の黒地の帯ですっきりと

黒といっても墨色ですのできっぱりし過ぎず、それがお気に召したようです

モノトーンのコーディネートだからこそ、帯柄にあしらわれたピンクのポイントにひときわ存在感を感じます

いままでどちらかというと色のきれいなもの、主張過ぎない感じのものがお好きだったようですが、着こなしの範疇が広がってきた様子

夏はあまり気負わず、涼やかに着ることを最優先して、その日の気分でたまには冒険も

そして周りに涼感を感じさせることができたら・・・

それが一番のポイントかと






昨日のお出かけのコーディネート

お着物は祖母の昔のジョーゼットを洗い張りして仕立て直したもの

シャラシャラとした生地で肌につかず、透け感の無い割りに、本当に風が通り抜けていく・・・

小さく銀糸で波の刺繍も入って、流水の地紋とあいまった清涼感がたまらなく・・・

この時期、ついついこのお着物を着たくなってしまうのです

昔の夏着物はどうしてこんなにも凝っているのでしょう!

そして麻の帯はこの時期限定の紫陽花

リサイクルでゲットしたセミアンティーク?なお品

だいぶ汚れがあったので、大胆にも薄い漂白剤にざぶんとつけて甦らせた帯

柄の部分が心配でしたが、ご覧のとおり何とか無事でした!

麻は漂白剤につけても大丈夫、との助言をいただいてから、色々試したアイテムのひとつです

先日はやはり絽麻の白襦袢を解いて、だめもとで漬け置きましたら・・・

見事再生を!

絽麻の半襟は3000円ほどするので、これである方の小千谷の長じゅばんの襟に付けて差し上げました

アンティークの黒の夏大島などには、真っ白なお衿よりかえって落ち着く気がいたします

せっかくですので、帯止めも紫陽花の七宝焼きで極めてみました!

以前紹介したことのある、Mさんの叔母作のお品

ブローチ兼用の帯止め金具を差し込んであるだけです

この時期は色数を少なくしての装いがやはり本人も見た目を涼しげな気がします

皆様も、今年の夏はぜひ浴衣だけでなく、夏着物に挑戦して、周りに涼感をふりまいて下さいませ!









明治初期、三河豊橋に、製糸業を起業した一人の女がいた。上州から駆け落ちしてきたその女は、最愛の男を亡くした後も、玉糸開発に打ち込んでいく‥‥

私が日舞の稽古を始めた6歳のころ、そのお稽古場は「糸徳学園」と呼ばれていた、女工さんたちの寄宿舎だった処で、花田から師匠が出稽古に来ていました

木造2階建ての薄暗い、やけに広い階段があったこと、踏み板をぎしぎしと走って渡って行くと幼稚園まで続いていたこと・・・

「小渕しち」 という名前は小学校の歴史の授業でも聞いたことはありましたが・・・

そして、その昔、二川は製糸工業が盛んだったことも一応は・・・

でも 「小渕しち」 さんという方の人物像についてはそれほどの興味もなく・・・

それがこの度のこの舞台を見ることで色々なつながりを改めて感じたのでした

群馬県から駆け落ちしてこの三河にとどまることになったしちは、座繰り製糸の技術を身につけていた

しち夫婦の、戸籍の偽造にかかわったのが母の実家、大岩寺

この三河で、玉糸の開発を手がけ、くず繭として扱われていた利用価値の低かった玉繭から生糸にも劣らぬ糸を引き出すことに成功し、「蚕都豊橋」の名を日本中に広める礎を築いた女性

大正天皇から産業功労者表彰をも受けることとなる、当時の女性としては稀なキャリアウーマン

男女平等が当たり前の現代でも、まだまだ世間の風潮は、昔を引きずっていて、特に田舎はよそ者意識がいぜん強いよう・・・

そして新しい事や考え方にも然り

このお芝居を通じて、演出家のなかとしお氏はこう言っています・・・

明治の時代を生き抜いた人々は今の我々に比して、一見自身ありげだ。とりわけ小渕しちのように成功した人々はそう見える。だが、実際そうだったのだろうか。成功は単なる結果であって、彼らも先が見えない時代を必死に良き、もがき、一生懸命だったに違いない。その生き様がともすれば未来が見えず失望しがちな我々に、時代を超えてエールを送ってくるのである」

席数300の小ホールは満席、途中すすり泣く声があちこちから・・・

熱演の舞台には惜しみなく、暖かい拍手が鳴り止みませんでした!

久しぶりに感動の舞台をありがとう!

何かとても心地よい興奮に酔いしれながら帰途についた私です

☆☆☆

玉繭とは二匹の蚕が作ったひとつの繭のことで、糸が中で絡まってしまっている為不良品として扱われていたもの。その割合は2割とか

今では逆に貴重価値として、白山の麓で織られている手織りの牛首紬が有名













坂道から少し石段を登ると、雨に煙るすばらしい和庭が!

こんなにも緑の色はさまざまなの?と言いたくなるほど、雫のベールに覆われた木々は美しさを誇示するかのように私たちをお出迎え

そんな庭先に思わずしばし足を止め・・・

先日お着物デビューのTさん、名古屋の為三郎記念館の玄関前でのナイスショット!

朝からのあいにくの雨でしたが、中庭の孟宗竹の見事な青々しいさまは、言葉にならないほど・・・

まるで絵のような世界が広がっていて、しばらくそこから離れがたい感あり、でした!

古川美術館の開催日と平行して公開されているこの記念館

一代で名古屋を代表する実業家となり、芸術文化のみならず、福祉、教育、医療に関心を持ち、寄付などを通じて社会に多大な貢献をされた方とのこと

その古川為三郎氏の、103歳、天寿を全うするまでの終の棲家であった、数奇屋建築の邸宅

記念館内には、茶事を目的に立てられたその「為春亭」と、四季折々の美しさを見せる日本庭園、その中にひっそりとたたずむ茶室「知足庵」

財を得た文化人の、かくありたいというお手本のようなこの館

そのもてなす心はきちんと受け継がれ、いただいたお茶もお菓子も、大変おいしく・・・

そして、その心根を共有しているような空間は、とても心地よく、心洗われるようなひとときを過ごすことができました

「ここにはぜひまた来たいです!」 とTさんにも喜んでいただいた様子で何より!

こんな雨の日のお着物でのお出かけを体験すればこれからのお出かけは怖いものなし、ですね

お疲れ様でした!!!




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