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今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・   あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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今になってようやく数えてみれば・・・

そんな大恋愛の末結ばれた彼と、わずか18年しか連れ添うことが出来なくなるなんて・・・

昔、寺の住職だった祖父に、人間 「おぎゃー」 と生まれたときにその人の人生は決まっているんだよと言われたことがありますが、これが私の定めだったのでしょうか・・・

これは又もう少し先のお話にさせていただいて・・・


晴れて、結納相整い、準備は着々と・・・

新居は、彼の住んでいた寮と目と鼻の先にありました、3Kの社宅

大勢のお仲間が引越しのお手伝いに来てくださったのですが、寮から運んできたのは、レトロな木製のラジオとタオルケット、そしてほんの少々の服・・・

「イヤーッ、荷物が多くて大変だった!」 と?、わいわい引っ越しそばならぬ、お寿司を皆でつまんだのも懐かしい思い出です

この頃、世の中は高度成長時代真っ只中、会社も飛躍的に大きくなりつつあり、若き彼は、仕事が趣味といえるほどで、新婚旅行も先延ばしになりそうな雰囲気でした

私も名古屋まで通勤していて、お互い、万端怠りなく?仕事の調整をして結婚式を迎え、やっと新婚旅行へと向かったのですが・・・

そんな疲れが出たのでしょうか?、初めての海外旅行でしたし・・・

ウキウキとした行きの飛行機の中でのこと、私は急に気分が悪くなり、トイレに向かう途中で気を失い、気がつくと目の前には、心配そうな顔をしたスチュワーデスさんと、主人の顔が・・・
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舞踊、長唄「雨の五郎」は、天紅のついた文(恋人への手紙に自分の口紅をつけて送ったもの)を懐に入れ、大磯の化粧坂の廓の恋人、「少将」のもとへ通う道すがらを舞踊家した、いわゆる、曽我物舞踊のひとつで、昔はお正月の興行には必ず上演されてたもの

荒事と呼ばれる、覇気ある若武者の力強い踊りですが、恋人からの手紙を読むくだりなどは和事風のやわらかな味が必要な、変化にとんだ人気曲

こんな光景を自分に重ね合わせて?、幾度 "文" を届けしか・・・

「結婚」 を意識し出した、私の心は知る由もなく?、彼はいずくにぞ、という感じで連絡もままならない時代・・・コンピューターは大型のものがやっと普及し始めたものの、携帯電話のない頃ですから、もっぱら「恋文」を送り・・・

返事は忘れた頃に、電話がたまに・・・もう別れた方がいいかもしれないと、ある時、ハンカチとともに「さよなら」 の文を

それから、しばらく間があったように思います

友人を介して再び再会・・・そして・・・

川の土手ではじめて会った時から、"恋しき君" とようやく結ばれることになる迄に10年以上の月日がたっていました





私は覚えていないのですが、最初の出会いは、通学路の川の土手

ガリガリで、鞄が歩いているような小さな中学生・・・3才上の彼は自転車ですれ違ってそう思ってたそうです

しばらくぶりにあったのは高校になってから 

クラス会の相談か何かで姉の友人達がよく集まっていて、その中に・・・

よく冗談を言ってみんなを笑わせていて、面白い人だなぁ、という印象でした

あまり楽しそうなので、時々仲間に入って・・・

その後も時々会うようになっていましたが、"必殺遊び人"、と呼びたいほど、じっとしていない人で、あちこちに出没していたようでたびたび消息不明・・・

就職の折、ジョイントベンチャーの会社か、県職か、相談をすると、「どうせなら面白そうなところにしたら?」という彼の一言?で決定

お互いに仕事に遊びに、稽古にと青春を謳歌している頃・・・シリアスな話題からは少し距離をおいていたいという雰囲気も感じていて・・・

その一方、仕事にも稽古にも少しゆとりができてくると、世間と両親の目もいくばくは気になり始めて、「結婚」の二文字は、段々頭の中から消えることがなくなっていきました



華やかな別世界のような一日を終えて、又いつもの平凡なOL生活の中、時折その時の興奮がしばらくは寄せかえる波のごとく身を包み、"生きていること" を強く実感した、間違いなく「青春の1ページ」の頃のこと

名取を取ると、日舞の世界では、それ以後師匠とのお付き合い他、すべて芸名で呼ばれることになり、なんだか最初は違和感がありましたが、それはちょっぴり心地よさも感じられ・・・

姉弟子さんの会に出演する折も、"賛助出演" と添え書きを付けてもらい、その肩書きを(芸名)少しずつ自覚するようになっていきました

まだまだひよっ子こながら、踊ることの楽しさ、面白さを知り、あれもやりたい、これもいつかは、と夢は果てしなく・・・

そんな一方で、まだまだ古い考えの田舎に住んでいた私には、そろそろ見合い話も当然(?)舞込んで来る年頃になっており、両親は気を揉みだしていたようです

結婚願望が無くはないけれど、それは相手との相談も当然必要なことだし、自分としてももう少し後に延ばしたいな、というのが本音でした


前ジテの女形の踊りには、姫扇、手踊り、二枚扇と見せ場が多い分、緊張も激しく、正味30分を踊り続けて本当にへとへと・・・

胡蝶の踊っている10分の間、花道裏手はもう目の回るような変身の場

ふらふらになっている私を叱咤激励しながら、衣装やさんも、かつらやさんも、顔師さんも時間に間に合わせようと必死です

大きく深呼吸を何度もするうち、ようやく息も落ち着いてきて、周りの声に再び気を取り戻し・・・

あんなにお稽古したんじゃないか・・・最後まで頑張れる体力を付けた筈・・・自分をそう信じて励ますしかありませんでした。

舞台の上では誰も助けてくれません、"ひとり"なのです、何があっても一人で何とかしなければならないのです

気合を入れ直し、花道の引っ込みも無事に終えて、舞台中央で獅子の見得を切るときには疲れはどこかへ

「獅子の毛は頭で振るんじゃないよ、腰で振るんだよ、斜めに、毛の先を遠くへ放って!」と師匠に何度も言われたことを思い出しながら・・・無事に最後まで振り切ることが出来ました!!!

そして舞台を降りると、満面の笑みで師匠が迎えてくれました!!!

その夜、隣の部屋から弟がお酒を持って部屋に・・・

「疲れすぎて、どうせ寝つかれないだろう?」 と興奮冷めやらぬ私のお相手をしてくれて・・・

生涯忘れることのない、青春の思い出の日・・・祖母に連れられ稽古を始めて16年がたっていました







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