忍者ブログ
今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・   あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
2024-051 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 prev 04 next 06
2  3  4  5  6  7  8  9 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



文売りとは、思いをかける文、すなわち恋文売りのことで、江戸時代、これを買うと良縁を得るとか、商売繁盛するとか言われ、正月に京の市中を売り歩いていたそうです。

この作品は、八重桐という傾城の扮装をして、”しゃべり”という技巧で面白おかしく郭話を演じる作品で、中村芝翫さんや福助さんなどが得意としている演目かと・・・

なにぶんにも当時21歳の私には、遊女の色気など、粋さなど、まだまだ知るところでなく・・・

ただぼんやりと、その雰囲気というか、人となりを踊ることが出来ればと思いながら・・・

今にして思えばただの真似事をしていたに過ぎませんが・・・

この舞台が忘れられないのは、この時だけなのです!・・・舞台前日のリハーサルで風邪で高熱を出し、ぶっつけ本番、まだ微熱のある状態で舞台に上がったから・・・

歌舞伎舞踊の中でも長いせりふのある、この役で、のどを痛めた状態で勤めるなんて・・・本当に情けなく、お布団の中でふうふう言いながら本番は何とか頑張らねばと・・・

「・・・もう100年もたって後 松葉をそへて主さんあぎょう」 という最後のせりふを何とか言い終えると、もうのどはガラガラ痛くて・・・

もう一度踊りたい演目だと、今ならもう少しましに踊ることも出来るようになったかとも思いますが・・・

熱にうかされて顔が上気し、目もうつろなこの写真のような色っぽさは、今でもないのかもしれません・・・

「ずいぶん、舞台では色っぽかったじゃないか」 と、師匠に言わしめたのは、多分 「ねつ」のせいだったのでしょう!??

ともかくも、とても面白い踊りですので歌舞伎のお好きな方は、是非ご覧になってくださいませ!!!

PR
日本舞踊には落語と同様、江戸庶民文化を題材にしたものが多くあります。

白酒売り、茶筅売り、文売り、朝顔売り、シャボン玉売り(玉屋)、水売りに団子売り・・・これがそのまま外題になっているのです

こう並べてみると、何か現代でも目にするものがいくつかありますよね・・・そう、お祭りの屋台・・・

さぁさぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!!!との威勢のいい掛け声に思わず足を止め・・・ついついその気になって・・・

「玉屋」という踊りを数年前に舞台で踊ったのですが、その稽古の折、師匠に言われたこと・・・


花道からの「出」のところで江戸の「ふう」を出し、あちこち声かけながら歩いてくる感じが肝要と

又、シャボン玉を売るのだから、ストロー(葦の茎)の先から大きくて綺麗な玉を作って、楽しそうに子供達を呼び寄せないと・・・真面目顔で呼んでも誰も買ってくれないよと

衣装を着けてかつらをかぶり、化粧をすればそれなりに見えないことはないのですが・・・なかなかどうして、難しいものです

「文売り」という踊りを舞台で踊ったのは、入社した年のこと・・・番茶も出花の頃、多少の色恋は覚え無きにもあらずですが・・・

「さぁさぁこれは 色を商う 文売りでござんす 私が商う数々は 宵の睦言 まだなこと 、まあ 聞かしゃんせぇえ!!」  という、せりふも入るものでなかなかの難曲・・・

では次回にその姿を・・・








私には記憶がないのですが、母が申すには、中学時代、将来は甲子園のアナウンサーになるんだと息巻いていたというのですが???・・・

確かに「ベースボール」と「相撲」 の雑誌を一時買っていて、男の子用の漫画が好きな変な?女の子でしたが・・・

思わずみてしまった久し振りの甲子園の決勝戦! 今年もまた数々の感動のドラマが生まれてましたね!

思い出すのは、中学時代、春夏連続優勝をした、中京高校の事・・・夏の大会前の合宿か、試合の為か定かではありませんが、豊橋に来ていた選手達と、浴衣会の会場でばったり会ったときのこと

春の大会を夢中で応援していた選手達を間近で見る事が出来て、とても感激したことはかなり鮮明に覚えています・・・赤銅色の顔からこぼれる白い歯と、泥と汗のにおいが染み付いたユニホームからは太陽の匂いも立ち上って・・・

この年の夏の甲子園は一回戦からずっと見ていて・・・そして、連続優勝という、大会史上に残る記録を達成した時は感動に涙して・・・

一生懸命になることは人を感動させる・・・単純だと笑われそうですが、この頃の一流のスポーツ選手を見ていて、思春期の私は大いに刺激されたのでした

感動を表す言葉は色々あるけれど、会社に入ってからボスのボブがよく使っていた、"terrific ! "  (すばらしい!)という単語は、それをストレートに伝えるにはとても便利な単語で、私もよくまねして使うようになったものです

今日、久方ぶりに、試合の終わった瞬間に一人叫んでいました! "terrific !!! "  
とても2年間とは思えないほどの、本当に充実した短大時代・・・勉強にも、稽古にもバイトにもそして恋にも・・・

花の短大生ともてはやされた時代、就職は引く手あまた?・・・県職と民間とどちらにしようかと相談したら、とりあえず面白そうなほうにしたら?ーーというアドバイスで決めたのが、名古屋に親会社を持ち、アメリカとイギリスとのジョイントベンチャーの新しい会社でした

社長は日本人でしたが、役員にはイギリス人とアメリカ人もおり、書類は当然英語も多く・・・タイプは必要不可欠なものでした

入社して3ヶ月間、午前中は納屋橋のタイプ学校に通い、そのお陰で今でもこうしてブラインドタッチでキーボードを打つことが出来ます(タイプライターはオリベッティがブランドの時代です!が、ご存知の方がいらっしゃるかどうか?)・・・何でも身につけておいて損はないものですね!

ボスのボブはとてもユーモアがあり、アメリカで研修を受けてきたセールスエンジニアの3人もそれぞれが個性的。ひとつ年上の先輩の女性もとてもかわいく親切で、10人そこそこのメンバーでしたが和気藹々と・・・


こうして仕事上、外国人とその慣習等に接することで短大時代では得られなかった、実践英会話なるものが日常となっていき、自分が日本人ということも逆に意識していくことに・・・

時は20歳、会社の設立パーティーは名古屋観光ホテルで盛大に行われ、社会人として華やかな?デビューとなりました!




自己紹介の機会は誰にでも経験があると思います。その場合、たいてい自分の生まれに関することとか趣味を紹介することが多く・・・

韓国やフィリピンの人々にとっても英語は外国語であり、私たち日本人と話すときは英語を使うわけですが、ずいぶんそのレベルの違いにとまどった記憶があります。英語が好きとか嫌いとかいうことは抜きに、会話として必要だということです

彼らの観光案内に同行する際でも、やはり自分は何をしているか、何が好きかなど、それがコミュニケーションの第一歩で、自分は日舞を6歳から続けていることを伝えると、たいてい会話のきっかけが出来たことは容易に想像していただけるかと思います。文法などそっちのけで・・・なんとかなるものです

一方、日舞のことを英語であれこれ説明するには、あまりにも勉強不足であることにも気づかされ、「Japan」 という外国人のための日本紹介みたいな本を読んだり、歌舞伎の英訳を探したり・・・

日舞の世界は黙して語らず・・・自己アピールは舞台の上でのみ・・・

他の人との違いを明確にアピールすること・・・外国では当たり前であり、そこで初めて人格を認めてもらえることでもあり・・・

自己アピールの仕方の違いはそのまま文化の違いでもあり、まだまだ知らないことが多すぎて、少しづつ経験を積み重ねていくしかなく・・・

KOI は悩み多きが常なり・・・でしょうか?




最新コメント
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター
カウンター
"beni" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.
忍者ブログ [PR]