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今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・   あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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春、ひっそりと白い小さな花を咲かせる、ムラサキ草

その根っこの部分から信じられないような紫色が生まれます

文献によれば・・・

古代王朝の色の染料として
 紫色は時代、洋の東西を問わず高貴な色として珍重されてきたが、特に権力を象徴する色であった点において特異な存在であったということができる。紫色を重んじる傾向は、聖徳太子の制定した冠位十二階の最上位は紫(深紫:こきむらさき)に始まり、藤原氏の平安の世には紫式部の女流文学のテーマとして形を成し、戦国武将の豊臣秀吉、徳川時代の江戸紫にまで引き継がれることになる。外国でもやはり、古代中国やローマ時代には皇帝以外の者が身につけてはならない禁色とされていたし、かのエジプト女王クレオパトラに至っては、あまりに紫を愛好し過ぎて、軍船の帆をすべて貝紫で染め、外国船を圧倒したというとんでもない史実も残されているほど。
 紫染料が大切にされてきた理由の第一は、その希少性にあり、そのことは先の引用歌に大王(天皇)の占有地に紐で侵入できないように標野(しめの)とされていたことからもわかる。万葉時代にはムラサキ草はそこいらに群生していたかのような説を唱える向きもあるが、やはり当時から希少種で栽培が困難であったに違いない。
 ちなみに、遠き地中海沿岸のローマやエジプトでは紫草ではなく、貝のパープル腺から得た、いわゆる貝紫(※)による紫染色が行われていた。先のクレオパトラの帆船のエピソードですが、1グラムの紫染料を得るために、貝(イボニシ貝の仲間)が数千個(?)も必要になるとされ、古代においては、一定量の布を紫で染める事自体がとてつもなく贅沢なことだったのだ。

ムラサキの歴史を知れば知るほど、ムラサキに恋する私です

写真のお着物は、紫紺染めの現代作家のもの  

後日、岩手の紫紺染めのお着物をアップいたしますので違いをご覧くださいませ

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