今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・
あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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テレビを見ていましたら、今弘前城は桜が満開とのこと・・・その見事さにいつか行ってみたいと思った、桜好きの私ですが・・・
こちらはもう夏のよう・・・木々の芽吹きも鮮やかに、その精気溢れる姿に背中を後押しされるような気がします
こんな陽気ですと、お着物も自然とさらりとした肌触りのものを纏いたくなって・・・
単衣時期にお勧めなのが、塩沢紬
しぼが立っているのでシャリシャリッとしいて軽く、又しわも目立ちにくく・・・
そのしぼゆえ、ちょっとニットのように伸びる感じも味わえて・・・
塩沢好きはお着物好きの方に多いかと
写真はついつい増えていってしまった単衣の塩沢の中の一枚・・・
よく見ると大きなリボンが絣で織られています
なんともさわやかなので、初夏に着るのにぴったりだと思いながら、裾にシミがあったので着るのをちょっと躊躇っているうちに、少し派手になってしまったような気がして・・・
お手入れに出してシミもきれいに取れ、裄だしもしたのですが・・・
若い方に着ていただくと、とてもさわやかで、その風合いの良さに、キモノの良さを改めて実感して頂けるかと
帯は薄いレモンイエローの麻の無地の地紋織・・・ありそうでなかなかない、ちょっと前のもの
麻特有のアクが少し出ていて、ヘリが少し黄ばんだ部分もありますが、締めれば分かりません
お勧めのセット・・・45000円です!!!
着物寸法 着丈 157センチ 裄 68センチ
帯 352センチ
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少し前になりますが、母と久し振りに買い物をして、ランチを一緒に取る機会がありました
駐車場の登記の手続きをする都合上、松山町近くでどこか、と思い立ったのが、ステーキハウス「シカン」
一年ほど前に移転して雰囲気もがらりと変わり、豊橋にはない雰囲気のお店となっていました
名刺を見ると、「特別な日に行きたくなる 街のオアシス」 とあります
入り口の重いドアを開けると、両サイドはプールとなっていて、リゾートの雰囲気をアピール!
小さな橋を渡って奥のドアを開けると、足元には、ガラス張りの海の世界が薄暗く広がって・・・
高齢の母と目の悪い私は、一瞬怖さも感じて・・・インテリアとして、サプライズのシチュエーションのコンセプトが分からないでもないですが・・・
そんな灯りを控えた店内と打って変わって、トイレはごらんのような明るさ!
白を基調とした空間、洗練された小物使いにセンスとこだわりが!
どことなくアジアンテイストも感じられるもので、これぞリゾートトイレ!?!
それぞれのお店のこだわりは、「トイレ」に表れると常々思っている私・・・
「街のオアシス」 が恋しくなった時、カップルなどで訪れるのには素敵なスペースではないでしょうか
お料理の内容はホームページからどうぞ
四季折々の美しさのある京都は、やはり何時訪れても良い所ですよね!
中でも春は格段の美しさを見せて、人々を誘います
加茂川沿いも平安神宮も花々が競い合い、それはそれは見事な景色でしょう
そんな京都での結婚式に出席された、Tさんご一家
先日ご紹介のお嬢さんの装いは、なんとも言い難い、鮮やかな紫の地色に古典模様の飛び小紋
ちょっと大正ロマン的な雰囲気もあるこの着物に、これまた春色の綺麗な黄色の染め帯を合わせました
背がすっと高く現代的な彼女・・・このような大柄な小紋を着ると、とってもインパクトのある華やかさがかもし出されます
招待された側として、おめでたい席を祝う気持ちを表す装い・・・場を賑やかな雰囲気に盛り立てるような装いで出席したいものかと
振袖や訪問着でなくても、このような小紋も使い回しができて重宝です
帯を白いものにすればがらり着物の表情も変わります
同系の袋帯にすれば、これまたゴージャスな現代的な感じにもなりますし
特に若い方には、特別な日だけのお着物にするより、気軽に着ていただくには、小紋はお勧めです
それもちょっと上質のものを一枚だけ・・・
そして帯で格を決める・・・
私が着るなら、どんな帯を合わせて南座へ、また歌舞伎座に行こうかな、と考えてしまいたくなる・・・そんなお着物の気がします
今回はちょっと寄り道して、まか不思議なお話を・・・
父の弟は、昭和20年5月にフィリピンで戦死・・・弱冠17歳
父の父(私の祖父)と、祖母は、彼の出征の時、連隊のある広島までわざわざ出向いたそうです。が、知らせとは異なり、隊はすでに戦地へと出発していて、最後の一目すら会う事が叶わなかったとのこと
長男である父も(戦地から)未だ帰らず、その上、広島で会えなかった次男までもが、そのまま戦死してしまい、祖父は、気がふれてしまったそうです
特攻隊への志願は、祖父に黙ってしたこと・・・運動神経抜群の彼は、友人達とともに試験を受け、皆が落第したのに一人受かって、それ故に・・・
親が子を失うことは、どんなに辛いことか・・・「隅田川」という舞踊でも、子別れをテーマとしていて、その悲しみの舞台は常に共感を呼ぶものです
時流れて、昭和26年、私の姉が生まれたその日を境に、「こうしているわけにはいかない」と、突然、正気に戻ったそうです
それからは嘘の様に別人のようになり、生まれた姉を本当にかわいがっていたそうです
働き者で、器用、ブランコや滑り台を作って、姉を遊ばせていたそうです
又、あちこちの手伝いにも行って、重宝がられたそうです・・・まるで仏様のような穏やかさだったそうです
初孫が息子の代わりとなったのでしょうか?
そして、私の生まれる、その年の4月の法要の日、息子の墓碑を立てるため、山から、リヤカーでこの写真の大きな石を運んでくる途中の事故で亡くなったそうです
父は、そんな祖父も見て、自らも戦地に赴き、その人生はずっと戦争を引きずってきて、昨年ようやくその人生の終止符を打ったような気がするのです
お昼寝するときも、絶対に横になることをしなかった父・・・若き頃の身についた習性として生涯消えることはなかったのだと・・・
そんな父から、お酒を一緒に飲む折何度となく聞かされた、祖父の(戦死した)息子の墓碑に刻んだ歌・・・
しきしまの 大和をのこの わかざくら
ここくの花と ちりにけるかな
この土曜日は父の一周忌でした
年齢とはいえ、あまりのあっけない最後・・・いえ、本当に見事な散り際というべきでしょうか?
そんな父と数年前、東京の父の友人の葬儀に参列し、その帰り、靖国神社に参拝、その折も境内は満開の桜で迎えてくれました
父は戦時中、飛行機の無線士、父の弟は17歳で特攻隊で、フィリピンで戦死・・・特別の思いを抱く場所だったと思います
その記念館の、ゼロ戦の前で撮った父の写真・・・良い顔した傑作でした!
が、後でプリントアウトしようとして、そのまま保存するのを忘れてしまった私・・・本当にこの写真を父に見せることが出来なかったことが、今でも悔やまれてなりません
山桜の好きだった父・・・エクステリアの完成を機に八重桜を「和空」にも一本植えました
桜にまつわる思い出が多すぎて・・・
一周忌の帰り道、ふと見れば、うす緑色の桜が咲き始めていました
二川、伏見稲荷の「御衣黄桜」(ギョイコウザクラ)です
ここには15本程まとまって見られ、最近は遠くからも見物に訪れたり、カメラスポットにもなっているようです
ちょっと変わったこの桜、今が見ごろかと
その昔、「二川」 は東海道五十三次の宿場町として、吉田城下で栄えた町
JR二川駅から徒歩15分頃の所には本陣の復元建築(中の資料館も立派です)もありますので、途中、伏見稲荷の桜見を楽しみながら、春の散策に出かけられたらいかがでしょうか?
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