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今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・   あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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  • 今回はちょっと寄り道して、まか不思議なお話を・・・

    父の弟は、昭和20年5月にフィリピンで戦死・・・弱冠17歳

    父の父(私の祖父)と、祖母は、彼の出征の時、連隊のある広島までわざわざ出向いたそうです。が、知らせとは異なり、隊はすでに戦地へと出発していて、最後の一目すら会う事が叶わなかったとのこと

    長男である父も(戦地から)未だ帰らず、その上、広島で会えなかった次男までもが、そのまま戦死してしまい、祖父は、気がふれてしまったそうです

    特攻隊への志願は、祖父に黙ってしたこと・・・運動神経抜群の彼は、友人達とともに試験を受け、皆が落第したのに一人受かって、それ故に・・・

    親が子を失うことは、どんなに辛いことか・・・「隅田川」という舞踊でも、子別れをテーマとしていて、その悲しみの舞台は常に共感を呼ぶものです

    時流れて、昭和26年、私の姉が生まれたその日を境に、「こうしているわけにはいかない」と、突然、正気に戻ったそうです

    それからは嘘の様に別人のようになり、生まれた姉を本当にかわいがっていたそうです

    働き者で、器用、ブランコや滑り台を作って、姉を遊ばせていたそうです

    又、あちこちの手伝いにも行って、重宝がられたそうです・・・まるで仏様のような穏やかさだったそうです

    初孫が息子の代わりとなったのでしょうか?

    そして、私の生まれる、その年の4月の法要の日、息子の墓碑を立てるため、山から、リヤカーでこの写真の大きな石を運んでくる途中の事故で亡くなったそうです

    父は、そんな祖父も見て、自らも戦地に赴き、その人生はずっと戦争を引きずってきて、昨年ようやくその人生の終止符を打ったような気がするのです

    お昼寝するときも、絶対に横になることをしなかった父・・・若き頃の身についた習性として生涯消えることはなかったのだと・・・

    そんな父から、お酒を一緒に飲む折何度となく聞かされた、祖父の(戦死した)息子の墓碑に刻んだ歌・・・


    しきしまの  大和をのこの  わかざくら

    ここくの花と  ちりにけるかな



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