今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・
あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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話は戻って・・・昭和55年5月
無事に長男誕生! 体重は確か、2200グラム弱だったかと
予定日より、一ヶ月も早く、体重も少なかったので、そのまま保育器の中へ・・・
母子対面も叶わず、母となっても、初めは実感もわかず、何か不思議な感覚を覚えていました
無事に生まれて、ホッとしたのもつかの間、保育器の中の彼はその後ちっとも大きくならず・・・
搾乳機で絞っては看護婦さんが飲ませてくれていたのですが、本当に弱々しい飲み方で、それを見ていると、悲しくて涙が溢れてきて・・・これが「母の想い」 母となった実感でした
そんな様子に、つま(夫)は、「あんな状態で生まれた子なんだから、生命力の強い子なんだよ、大丈夫、大丈夫!」と、明るく言い放っていました
「父」 となったつま(夫)の最初のお仕事?は、命名
本を買ってきて真剣に、楽しく?悩んでいた様子
男性にとって、自分の遺伝子を伝えることはやはりとても意義深いものなのでしょうか?
毎週末、刈谷から豊橋に帰ってきては、保育器の中の息子に呼びかけていました
「おーい、お父さんだぞ、わかるかー?」 ・・・「???」
一ヶ月ほどして、先に退院していた私と二人で迎えに行った時、息子はようやく、2450グラムまで大きくなっていました
オクルミに包まれて青空の下、初めての日差しはさぞまぶしかったに違いありません
彼のがっちりした腕からこぼれ落ちそうなくらい、小さなあたまと小さな手・・・我が子を抱く 「父の顔」 は、喜びと、嬉しさに溢れていました!
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