今昔きもの美に 触れて・・・眺めて・・・着こなして・・・
あなた色のコンテンポラリーな着物ライフはじめてみませんか
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一世一代の晴舞台の日がやってきました!
この頃は一番体重のある頃で、顔もふっくらと適度に肉がつき?・・・
お衣裳は鏡獅子定番の色と柄・・・舞台衣装やさんの貸衣装ですが、真新しい、しつけ付!・・・師匠のあたたかい心遣いだったかと
「道理、御殿の勤めじゃと・・・」 二人のお局様に手を引かれた、お小姓 "弥生" が、初々しく恥じらいの心持ちで踊る、前ジテの部分が30分
かわいい胡蝶の二人の踊りを挟んで、後ジテが15分ほど・・・正味45分ほどを踊りきるのは本当に大変でした!
役者さんは一ヶ月間踊るので、自然と力の入れ加減をうまく調整しながら毎日踊っているのが常ですが、舞踊家は大抵が一番勝負
この日にあわせて調整した身体で舞台に臨むわけですから、緊張もするし、力の配分も知らぬ頃・・・無事に最後まで大きな失敗もなく勤めることが出来ますように・・ただそれだけでした
ずいぶん体力をつけてきたつもりでしたが、獅子の霊が乗り移った手獅子を持って、蝶を追い引かれながら花道へ引っ込み、獅子の衣装に着替えるときには全身で息する状態・・・
このまま舞台を降りたいと思うほどの疲れの中で、衣裳やさんから ゲキが・・・
「しっかりしないでどうするんだ!そんなじゃ今から獅子の毛を振れないぞ!」
ふっと、われに返り・・・"この日のためにどれだけ稽古してきたことか!"
顔を作り変え、衣装を着替えさせてもらっている間、頭の中はその思いであふれてきました
その後ジテは次回に・・・
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名古屋のジョイントベンチャーの会社に就職して2年目の秋、いよいよ発表会の準備も大図目を迎えました
舞踊会(おさらい会)では(以前も少し書きましたが)、見に来てくださった方へのお土産を用意することが多く、それも名取披露のときはちょっと特別に用意するのがその頃の慣習だったようで(今もかも知れません?)・・・
まだまだこの世界のことはよく分からない”ひよっこ”ながら、何か記念になるものをと一生懸命考える毎日
会の費用とまきもの等の費用、すべて自分の働いたお金で何とかしなければ・・・家では英語の塾も開いて・・・
若さと目標があれば疲れは知らないときでした!
「鏡獅子」にちなんだもので・・・色々な候補の中から最終的に決めたのが、この "お抹茶茶碗"!
曲の中、お小姓 "弥生" が、茶のお手前をする振りがあり、そこからの発想でした
どなたの紹介だったのか全く覚えていないのですが、瀬戸の陶芸家の方にお願いすることに・・・
乳白の釉薬がぽってりとかかり、ひびの景色もなかなかかと・・・
予算も少ない中、箱書きも一つ一つして頂いて、たいそう立派な記念品になったのは嬉しい誤算でした!
名取名(芸名)を染め抜いた手ぬぐいも用意して、いよいよ稽古にも熱が入り、稽古用の獅子の"毛"を借り、狭いベランダで夜遅く、毛振りの稽古に明け暮れる毎日でした・・・
二十歳の頃の余談を少し・・・
先日のような本格的な(衣装やさんでお借りする)衣装で舞台にあがる時は、その何ヶ月か前から、舞台を想定した稽古着を着てお稽古をいたします。
「文売り」を踊る時のこと・・・
小学校のときに「藤娘」を踊って以来、舞台で裾を引く(おひきずり)ものをかけた事がなく、家での稽古に何かよい着物はないかと、祖母の箪笥の中を物色して・・・
見つけたこの写真の着物は、少しフキ(裾に入っている綿のこと)も入っていて、長さもそこそこ・・・
おひきずりの着付けにして・・・
一間x三間の廊下がその頃の私の稽古場で、毎日のように仕事から帰ると稽古をしたような・・・
ずいぶんたって、自分で着物を色々買ったり、見たりするようになってからでした・・・この着物の価値が分かったのは!!!
紋入ちりめん地の手差し友禅に絞りと刺繍入りの訪問着・・・気持ちよく稽古できたはずですよね(笑)
アンティークショップで見かける大正ロマンのこの手のお着物は本当にお高く・・・
裾を引いての稽古で裾の部分はボロボロ・・・お袖の付け根も何度もひっぱていたのであちこちに穴が・・・
まともなのはこのお袖の部分だけで・・・2尺を越す袖丈だった様子・・・
本当に物を知らない、若かりし頃のきものとの関わり初心者だった頃のこと・・・
もっともっと着物のことを祖母に教えておいてもらえばよかったと・・・
無知とは恐ろしきものなりけり!!!
熱っぽい?「文売り」を踊ったのが、就職して一年目の初冬・・・
振り返ってみれば稽古を始めて15年が経っていて・・・今から思えばもっとちゃんと稽古していればもう少しうまくもなっていたのでしょうが・・・
その頃、ちょうど歳の近いお仲間3人で名前をそろそろ取ったらどうかとの話が・・・
師匠から名前(名取名)を許されるということは、それなりに認められたことであり・・・やはりすごく嬉しかったのを覚えています
師匠から、「鷺娘」でも「京鹿子娘道成寺」でもどちらでも良いよ、と言われたのですが・・・
実は私にはそれ以前から、いつか名取になったら踊りたいなぁと夢見ていたものがあって・・・「春興鏡獅子」
その数年前、現中村勘三郎丈が「春興鏡獅子」を舞台に初めてかけるということで話題になり、テレビでも放映され・・・
前シテと呼ばれる前半は、お小姓 "弥生"という御殿女中が、獅子の精にとりつかれて、後シテでは勇壮な獅子になって長い毛を振る・・・派手?な変化のある踊り
これを踊るなら、体力のある若いうちでないと無理だ!と、思い込んだら一直線!・・・
恐る恐る師匠にお伺いを立てると・・・「ああ、いいよ」 とすんなりOK ・・・ やったぁ!!!
ということで、もうそれからは「鏡獅子」に関する書物をかき集め・・・
仕事場が御園座の近くあったのも幸いに、そこの演劇図書館に行っては本を借り、会社でコピー(ごめんなさい)
果ては、踊りの神様と呼ばれた、六代目、尾上菊五郎の幻の映像を公開との情報で、京都南座まで見に行ったり、どこかの舞踊会で鏡獅子が出ると聞けば駆けつけ・・・
まだまだ若い、情熱的な?21歳の頃のこと・・・
今回はおどりの事を少し・・・山姥とは???
深い深い山奥に住む、怪力を持つ鬼女とか・・・色々な伝説の持ち主で・・・
能の「山姥」を元に色々な作品が作られており、歌舞伎の「嫗(こもち)山姥」のしゃべりの部分を舞踊化したものが「文売り」です。この八重桐という女性が産んだのが、坂田の金時・・・足柄山の昔話の主人公・・・このお話はご存知でしょうか?
八重桐の衣装が先日紹介した、恋文売りの黒と紫の文がらをはぎ合わせた紙衣の着付け
一方、「四季の山姥」という曲は、長唄の演奏用の作品として作られたもので、春から冬へと四季の移り変わりや風物を変化の多い振りで踊りこんでゆく舞踊です
演奏用に出来た曲に振りをつけたものが、いわゆる「素踊り」と呼ばれ、衣装も振りも自由に考えられるのが常
「四季の山姥」では、山姥はその前身が八重桐という傾城(遊女)だったことになっていますので、その役の性根で振りがつけられています。(うちの流派では)
30年たって後に同じ「八重桐」を演じることになるとは・・・何か時の流れの不思議と縁を感じ・・・
今回は「古典」ではないので、衣装等、曲の解釈から自分で決めることに・・・
舞台面は上手に(向かって右)銀屏風のみを配置
衣装はベージュ地に遠山を描いた着物に、黒地につた模様の帯
お扇子も紫の縁取りのものにし、照明で少し、四季のイメージを出したいと考えています
この八重桐という人物を四季になぞらえて演じるよう心がけて稽古、稽古・・・自分のこれまでの人生と重ね合わせながら・・・
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